佇まい
学生時代、設計課題で構造の話になり先生から木の枝ぶりは葉が生い茂り、実がなり、それでも自重を支えられるカタチになっているんだよと教えてもらいました。なんならそのカタチを逆さにしても効率よく力が伝わるようになっていると教わり、自然の造形ってすごいなあと思ったのを今でもよく覚えています。
その話とは直接関係はないけれど、卒業を控え「結局自然(の偉大さ)には勝てないんだよ」なんてことを言って設計をやめてアパレルの販売員になった友人がいます。当時の僕は彼の設計課題には嫉妬するほど洗練された提案をしていたのでそれを聞いたとき自分にはそれに対する答えは見つかりませんでした(ちなみにその後彼は独学で革の職人になって今ではブランドをたちあげています)。
時を経て、今自分の名前に「デザイン」という言葉をつけて仕事をしているわけですが、今では「デザイン」という言葉がモノにとどまらず、あらゆる行為も「デザイン」という言葉で表現されるようになってきました。それ自体は「デザイン」が表面的なものではないというニュアンスが伝わり、僕自身良いことだなあと思う反面、少なくとも僕個人の仕事ではやっぱりいろんな要素を整理し、最終的に手に触れられるもしくは体験できるカタチにもっていくわけで、その最終形である「佇まい」は大事にしたいなあという意識が強くなってきています。かといって、個人的には古いものは好きですが、現代以前のデザインを再現するというのも少なくとも個人的には違うなあ(厳密には真似ができるほど器用さはない)と思っています。
あくまで「今」クライアントと共にモノを作り上げていく中で、そのモノを取り巻く状況だったり現象だったり、人の気分だったりあらゆるものを拾いあげつつ、僕の体を通して出てくるカタチってどんなんだろうというのを探ることを少しずつしていきたいと思いはじめています。
昨年末からスタートしているとあるお店のプロジェクトではそれらのことを考えながら、求められるものにふさわしい「佇まい」を模索しています。
話は戻って先の学生時代の当時の友人へ言うならば、勝ち負けじゃなく人も自然の一部で、人はアレコレ模索できることがなによりすごくない?かな。
村松英和デザイン
京都市中京区西ノ京小堀池町6ー6
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